「劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲」(1998)はポケモンシリーズの第1作目の作品であり、興行収入は72.4億円と現在の視点から見ても大ヒットした作品と言えます。
2019年にはリメイク版が作られるほどで、さらに、海外でも人気がある作品なんですよね。
今回はそんな「ミュウツーの逆襲」を見た感想、考察、レビューを行っていきたいと思います。
「ミュウツーの逆襲」感想・考察
冒頭の20分に挑戦的意思が見えた
ポケモンシリーズの記念すべき第1作目。
「いったい、どんな感じで始まるのだろう?」
そんな期待感を当時の視聴者は持っていたことと思いますが、冒頭から約20分の間は科学者とミュウツーの誕生のエピソードが延々と映し出されます。
ポケモンアニメはそこまでちゃんと見ていない人でも、これぐらいはなんとなく知っているという人も多いでしょう。
ところが、サトシもピカチュウも一向に出てこず、暗くて重い話が延々と続きます。
当時の子供たちはもしかしたら不安になったかもしれないですね。
ミュウツーとフジ博士のやりとりや、アイツーのエピソードは、ストーリーの流れ上ではもちろん重要ではあるのでしょうが、子供にわかる内容なのか?
と当時の父母も困惑したのではないかというレベルです。
子供向けアニメ映画でありながら、明らかに大人の目を意識したこの序盤の流れは制作側のある意味挑戦的な姿勢が見えます。
「この作品は大人向けに作っているんだ」という挑戦的意思。
そして、現在まで長く語り継がれるだけの話題性を生み出したと思えば、この「挑戦」は大成功といっていいでしょうね。
いつもの明るい要素もあって安心
やがて、ミュウツーが人間に逆襲するという意思に目覚めたところでようやくサトシとピカチュウたちが登場。
いつもの明るい感じが出てきて、一安心という流れになります。
子供向けアニメですから、序盤の空気が延々と続いたのでは、子供からの信頼は得られませんよね。
タケシ、カスミ、ロケット団といったおなじみのメンバーも登場して、ポケモンアニメ感もしっかり見ることができます。
子供向けというのもありますが、シリアス重視といってもポケモンの世界観はしっかりあり、見ているものをポケモンの安心感を与えます。
ピカチュウをはじめとして、ポケモンはかわいらしさがありますし、ロケット団のいつもの変な変装などのギャグ要素もあり、観るものを飽きさせません。
存在意義のため本物と戦う
ミュウツーは自身の存在意義をわからずにいました。
実際、ミュウツーのセリフにも
「私は誰だ?」
「私はなぜここにいる?」
というものがあります。
そして、ミュウツーを作り出した人間の利己的な考えを強く恨み、人間がポケモンを支配している状況を嫌っていました。
そして、ミュウは本物でミュウツーはあくまでコピー。
- コピーである存在
- 人間に作られた存在
である自身に対する苦悩が見て取れます。
ミュウツーはポケモントレーナーたちが連れていたポケモンを捕獲し、そのコピーを作成。
ミュウツーは誕生時にコピーを作る装置を破壊していましたが、その装置を自ら復元していたのでしょう。
わざわざ装置を作り直した理由は明言されていませんでしたが、仲間が欲しかったのかもしれません。同じコピーの仲間が。
ミュウツーにとってコピーである存在は自身のみでしたから。
そして、本物とコピーが戦うことに。
トレーナーたちは、ポケモンの本物とコピーの戦いを見て心を痛めます。
このシーンで子供の視聴者にも
「戦うことが無意味なんだ」
ということがなんとなく伝えられて、この先の展開も理解できるようにしているのでしょうね。
本物のピカチュウは手を出さない
ポケモンたちが本物とコピーで戦う中、ピカチュウだけは異なっていました。
コピーにビンタをされ続けるも抵抗しない本物。
本物と比べる必要はない。争う必要はない。
そんな意思が本物のピカチュウから見えてきます。
何度も何度もビンタをしても抵抗しないその姿に、涙するコピー。
無抵抗の本物を倒したところで、本物を超えたという存在意義が生まれることはないということなのでしょう。
そして、コピーのピカチュウも「本物より強いか弱いかなんて、決めたところで何にもならない」ということを察したかのようでした。
このピカチュウたちの心情について、含みを持たせるような描写もまた面白みの一つですね。
なぜサトシは石化した?
そして、ミュウとミュウツーの争い。
本物より強くあることに執着するミュウツーですが、ミュウも無邪気さを見せながらも、ミュウツーに好戦的でした。
ミュウツーのプロトタイプということで、戦いに対しては肯定的だったのかもしれませんね。
このミュウツーとミュウの戦いを止めたのがサトシ。
本物とコピーの争いは無意味であるという意思の表れでしょう。
サトシは考えるより先に行動するタイプの主人公らしい熱血タイプ。
ミュウツーとミュウの間に割って入り、攻撃をまともにもらってしまい、なんと石化してしまいます。
ところで、なぜ石化したのかという点は謎です。
ミュウツーやミュウはメデューサみたいに「石化させる能力もってます」みたいなキャラクターではないんですよね。
少なくとも作中ではそのようなシーンはありませんでした。
ではなんで石化したのかっていうと、これは想像になりますが、イレギュラーな異常事態ってことなのではないでしょうか。
ポケモン同士の戦いに人間が割って入る・・・
本物とコピーの対比だけではなく、ポケモンと人間の対比もこの映画にはありますからね。
ミュウツーにとっては、
- 人間とポケモンは支配するかされるかの関係
- 本物とコピーはどちらが強いか
という観点でしか見ていなかったので、その概念から背く行動。
そのイレギュラーの是非をポケモンたちに投げかけたシーンと言えるのではと感じました。
そして、ポケモンたちは涙を流し、サトシの石化をときますが、それはサトシのイレギュラーの行動を支持したという意思の表れなのでは・・・というのが個人的な感想です。
相棒のピカチュウはすぐに電撃でショックを与えますが、ピカチュウはサトシの相棒なのでサトシの意思にはすぐに賛同していたかのようです。
ちなみに、サトシの石化について脚本の首藤剛志氏はインタビューで以下のように言及されています。
ミュウとミュウツー戦いの間に入って、双方の攻撃を浴びてしまい倒れたサトシは、死ぬのではなく石化して動けなくなってしまう。
ゲームであろうと競技であろうといままでバトルを肯定してきたサトシは、無意識でバトルを否定してしまった。
サトシの行動は矛盾している。だから動けない。しゃべれない。石になるしかない。
http://www.style.fm/as/05_column/shudo179.shtml
戦いを否定することが矛盾だから・・・という深い理由がありました。
正直、そういう理由というのは気づきませんでした。
もちろん、作中で明確に理由が語られているわけではないので、どう捉えるかは人それぞれですよね。
インタビューの最後に以下のように述べていますし。
当然のことだが、ここに書いたことは『ミュウツーの逆襲』を書いた脚本家の、「書いたつもり」をお伝えしただけで、アニメ映画『ミュウツーの逆襲』を観た方の感想を左右したいわけではない。
『ミュウツーの逆襲』を観て、「泣く」も「笑う」も、「つまらない」「くだらない」「時間の無駄」「子供だまし」と思うのも、観た方々次第なのは言うまでもない。
ミュウツーを動かしたコピーの涙
コピーの涙でサトシの石化が解かれるその光景はミュウツーにとっては衝撃だったのでしょう。
冒頭のシーンでアイツーからは、痛み以外で涙を流すのは人間だけと言われていますから。
「コピーであっても、人間でなくても涙を流せる。生きている。」
そういったことへの気づきがあったのでしょう。
ミュウツーは争いに無意味さを感じたのかコピーを連れて飛び去って行きます。
冒頭のシーンがここで活かされているんですね。
アクションは並
ポケモン映画ということで、ポケモンバトルのアクションなども期待されるところですが、ド派手なアクションではない印象でした。
ミュウとミュウツーの戦いやリザードンの戦いなどは、アニメ映画らしいアクション要素があったと思いますが、ドラゴンボールとかワンピースとかそういう作品と比較して考えてみると、控えめなのかなという感じでした。
アニメ制作事情には詳しくないのですが、技術的な話で近年のアニメよりもそこは穏やかなのかも。
「ミュウツーの逆襲」感想・考察まとめ
「ミュウツーの逆襲」は子供向けの「ポケットモンスター」というアニメでありながら、大人向けの要素が非常に強い映画でした。
冒頭のシーンからそれを感じ取ることができ、子供にはなかなか理解が難しい部分も多いでしょうね。
ただ、ポケモンアニメの世界観はしっかりと見て取れるし、ロケット団のギャグ要素などもあるので子供でも楽しく見れると言ってよいでしょう。
ラストのシーンは映画を観ただけで、意味を理解するのはなかなか難しいですが、観る人にいろいろと考えさせてくるのが面白い要素だと言えます。
ポケモン映画ですが、重く深いテーマ性が大ヒットにつながったのがうなずける内容でした。
子供だけでなく、大人の方にもおすすめできる内容に仕上がった作品ですね。
僕はU-NEXTで見ました。(2023年7月時点で見放題対象)
U-NEXTを利用している方はぜひ見てみてください!
↓から配信ページへ移動できます。
U-NEXTを利用してない方も無料お試しで見れるのでぜひ。
下のリンクから31日間の無料お試しが利用できます。